2003年09月25日(木) 「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分のために寄せ集め」(Uテモテ3:3)
「人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分のために寄せ集め」(Uテモテ3:3)
ある人が信じた初めの頃、自分勝手な聖書の 読み方をしていた事に気づかされた。 好きな箇所だけ読むのだ。痛い聖句、心刺され る箇所、嫌いな箇所は決して読まずに飛ばすの だ。だから、聖書は何も自分を教えはしなかっ た。矯正される事も、教えられる事も、指針を 与えられる事も、正される事も罪を示される事 も、何も無かった。自己中心に御言葉に向かっ ていた事に気づかせられ、悔い改めた。 今、御言葉は語りかけてくる。 心を開いて、十分に神のお心を知ろうと祈り心 で向かう時、教えられ、戒められ、矯正され、 導いてくれる。私を変えて下さいとの態度で望 む時、私は変えられる。どういう読み方をして いるか、又、態度はどうだろう。