2004年09月25日(土)

「マルタ、マルタ。あなたはいろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや一つだけです」(ルカ10:41)

「心配」とは思い煩う事であり、原語の意味は「分裂する」だ。様々な事を心配するとは、心があちこちに分裂する事だ。心が乱れて、一事に集中できず、結局何も出来なくなる。私達が思い煩っている時はそういう事だ。マルタは、主のために、主に喜んで頂こうと一生懸命だったに違いない。しかし、主を喜ばせたいとの思いの真っ只中で、不平不満、愚痴、周囲への腹立ち、非難が爆発し、その非難は主にまで向かった。何もしていない妹を見て腹を立てたのだ。しかし、マリヤは何にもしていないのではなく、主のお言葉を一言も漏らすまいと、真剣に全身全霊で聞き入っていたのだ。主のお心を知る事が、何にもまして一番大切だ。もし主が家事をするように言われたら、マリヤはすぐにそうしただろう。自分の思いを、何でもかんでも行なう事でなく、まず主のお心を聞く事、これが最重要事だ。私達はどうだろう。
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仕事も勉強も家事も決して悪くない、良いものだ。良いものによって、
最も良きものが圧迫される。良いものなので気づかない。時間には絶対量がある。優先順位をしっかり保たないなら、最も大切な事が後回し、後回しになり、今日も流され、人生流されたままで終わる。第一のものを第一に。主との交わり、これは選択しない限り持てない。