2004年12月25日(土)

「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分達のために寄せ集め・・」(Uテモテ4:3)

私達はしばしば聞きたい事だけを聞き、聞きたくない事は聞かない都合の良い耳を
持っているかのようだ。耳に痛い事、不都合な事は聞きたくないのだ。バイキングを食べるように、好きな御言葉だけを聞く。都合の良い御言葉だけを取って来る。真に矯正の必要な部分は必ず痛い。自我に触れる。自分が変わるのは、至難のわざだ。しかし、御言葉に聞き従って行く時、砕かれる。神が語られるのは、自分の都合の良い言葉ではなく、必要な言葉だ。痛い言葉に耳を傾け従う時、健全な成長を遂げて行く。あなたはどうか。痛い言葉をしっかりと受け止めているか。従っているか。その時、あなたは変えられる。聞き従わない人とは、決して変わる事のない人だ。
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肉は都合の良い、心地良い言葉だけを聞きたい。痛い言葉は聞きたくない。自我に触れるからだ。しかし、聞いて従わない限り、いつまでも自己中心のままだ。自我が王座に座り、自分の思い通りに生きて行く。痛い箇所こそ変わる必要のある所。