2005年01月26日(水)

「用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた」(マタイ25:10)

家の鍵を忘れた事がある。しばし暗い外で待ったが、家族が戻るや、暖かい家の中で身も心も温められた。少しぐらい外で待つのは良いが、ある日完全に戸が閉じられる。再臨への備えはよいか。日々に主と交わり、ともしびは燃えているか。消えかかっていないか。日ごとに主と親しくなっているか。娘達の間で、油は売ったり買ったり出来なかったように、私達と主との関係や愛や信仰は、人から貰えるものではない。親子でもしかりだ。自分と主との個人的関係を培っているか。これに尽きる。油を備えるとは、自らの生涯が聖霊に満たされる事を求め、御霊に導かれる事を求める事だ。そのためには、主との関係を深めていく事、地道に主との交わりを積み重ねて行く事だ。人には決して見えない日々の地道な事だ。突然親しくはなれない。日々大切に主とお会いし備えよう。
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主が迎えに来て下さり、主と顔と顔を合わせる。この事を真剣に考えよう。大いなる喜びか、恥ずかしいだろうか。流されてこの世の事だけにかまけているか。何が一番大切だろう。今が、心を主に向ける時だ。チャンスは今しかない。心を、生活を備えよう。主を一番にすえて行こう。