2005年03月26日(土) 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら・・」( II コリント3:18)
「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら・・」( II コリント3:18)
主の栄光を反映させるためには、顔のおおい を取りのけなくてはならない。おおいをした ままでは、主の栄光はその人を照らす事は不 可能だ。主の栄光は顔おおいをのけ、心を主 に向かって開いている人に照らされる。心を 閉じていてはどうしようもない。神がわかり、 神の心がわかるのは、神に向かって隅々まで 心を開く事による。つまり、それは自分自身 を余すところなく神に献げる事によるのだ。 その時、初めて御言葉が理解できるようにな る。ある人が自分の持てる物を、主の働きの ために献げるよう強く示された。富に執着心 があり、欲もあり、なかなか出来なかった。 しかし、覚悟を決めて献げた。その時から全 く変えられ、主の御声がさやかに聞こえるよ うになった。そして、献げたもの以上のもの が与えられた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 神がわかるのは、自分を献げた度合いに応じ てだ。自分を保留し、握っている限り、神は わからない。献げる事を恐れる。しかし、献 げる事が出来るのは恵みによる。“恵みは我 が身の恐れを消し、献げる心を起こさせたり