2005年07月26日(火)

「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にどどまります・・わたしにとどまっていなければ実を結ぶことができません」(ヨハネ15:4)

実を結ぶのは、枝がぶどうの木にとどまっている
事による。自然に養分が届き結実する。枝が、
何か一生懸命する事によってでなく、とどまる事
によってだ。主はぶどうの木、私達は枝。重要
なのは「とどまる」事だ。枝が額にしわをよせて
頑張る事ではない。枝が独自に、自力で頑張った
途端、木から離れる事になる。頑張る事によって
離れ、愛の中にとどまる事により実を結ぶ。それは
主との親密な交わりの中にいる事。どうすればよ
いのか。デボーションだ。しかし、デボーションは
目的ではない。ここを間違えないようにしよう。手
段であって目的ではない。では、もし、祈れない時
はどうすればよいのか。気力も無いほど消耗しき
る時、辛くて苦しくて容量オーバーな時、悲しくて
何も考えられない時、一つの事が出来る。心を閉
ざさないで、沈黙しないで、それでも心を神に告げ
るのだ。「辛い」「苦しい」「どうして?」これが
神にとどまる事だ。
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苦しい時「なぜ?どうして?」「もうだめ」そのままの
気持ちを神に告げて行こう。それがとどまる事になる
と言われる。子供の手をひいている親は子供が転び
そうな時、特別強く握り支える。苦しい時は特別に神
の愛と神の目が注がれている。無力の時こそ祝福の時。