2007年01月26日(金)

「ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた」マルコ4:38  

 


暴風が起き、小舟が波をもろに
かぶり、今にも転覆するのでは
と、弟子達は恐怖と不安でおの
のいた。しかし、主はともの方
でぐっすり熟睡しておられた。
この危急の事態の中でも主はあ
わてず平静、全き平安でおられ
た。「向こう岸へ渡ろう」との
言葉があり、何があろうと、主
が渡ると言われれば、渡れるの
だ。弟子達は御言葉に立つべき
であった。私達は少し風が吹き
舟が揺れると「これは御心でな
かったのか?」とグラグラ大揺
れする。まず御心を確信する事
は大切だ。御心を確信し約束に
立つなら、波や風にほんろうさ
れる事はない。御心を行ってい
ても大嵐は来る。御心行ってい
るのに、嵐が来た事で「なぜな
ぜ?」悩んでしまうが、それは
見当違いだ。御心を行うなら嵐
が来ないと勝手に思っている自
分の思いだ。弟子達にも嵐は来
た。来ても動揺する事はない。
舟の中に一緒に主がおられた。
「私たちが溺れて死にそうでも
何とも思われないのか」とは嫌
味な言い方だ。主のひと言葉で
大なぎになった。主を責めたが、
問題は自分側にあり、自分の信
仰の目がふさがっているという
事だ。私達の舟には主が乗って
おられる。どんな中も平安でお
れるのだ。
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いつも目の前に二つの道がある。
目に見える状況を生きる道と、
その状況を支配されている主を
見つめて歩む道だ。状況に左右
されず約束の御言葉にぎって今
日も生きよう。