2007年03月24日(土)

「あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです」Uコリント6:12

パウロが「心を広くしてください」と
言っているように、コリントの人々は
自分で自分の心を狭くしてしまってい
た。人から狭くされるのではない。自
分が窮屈にするのだ。自分の罪を認め
なかったり、御霊からの促しや指し示
しをきちんと受け止めなかったり、自
分の失敗を隠したり、そういう時、自
分が心を閉ざしてしまう。段々聞かな
くなり、自分で心をねじ曲げて行って
しまう。すねた思いや自己憐憫に閉じ
こもる。失敗した時に、素直に認めて、
悔い改めるのではなく、自己弁護し、
言い訳を重ねるだろうか。そうすると、
実は更に自分を狭くして行ってしまう。
経験あるかも知れない。自分のした事
に対しては、責任が伴う。責任を取る
とは、きちんと自分のした事を認め、
悔い改める事だ。人に罪を犯したなら、
謝罪する事だ。その時、赦しを受け取
り、全き平安を得る。主からの叱責、
人からの忠告を受け取らない事も、自
分を窮屈にする。種蒔きの「土地」は
問題だ。土地は心だ。あなたの今の心
はどうだろう。屈折していないか。素
直な心で御言葉に向かおう。状況でなく、
問題は心の態度だ。
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状況も人も、自分の心をどうにかする
事はできない。自分の心を屈折させる
のは自分自身だ。自分のものとして認
める事が解決の始まりだ。