2007年08月26日(日)

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」ピリピ2:3

私達はつい人と比較して生きてしまう。
どうしても目に見えるからだ。又、人か
ら比較される事もあるだろう。良い意味
でのライバルは切磋琢磨して互いの向上
となる。しかしそうでない比較の根は高
慢であり、その現われは優越感と劣等感
となる。それらはどちらも根が同じもの
だ。優越感を持つ人は、密かな劣等感が
あるから、優位に立とうとする。劣等感
が、優位に立つと優越感に変わる。それ
らは一つのものだ。その間をグルグル回
る。アイデンティティの置き所が間違っ
ていて、常に関心は自分の事で、目はひ
たすら自分だけに向いている。強烈な自
己中心だ。見下されないかと、びくびく
している。自分が優位に立ち相手を見下
げる事で、自分を保つ。虚栄であり、虚
しい生き方だ。そんな所から主が贖い出
して下さった。横との比較でなく、縦の
関係、神との関係に入れられた。その神
との結びつきにより、自らの存在理由、
存在価値、存在目的がわかると、自分を
守る事にきゅうきゅうする必要が無い。
人の目から自由にされて、神依存による
自分の生き方を確立して行ける。その時、
人をも認めて行ける。神と自分の関係が
確かになればなるほど、自由になる。
・・・・・・・・・
人と比較して負けたくない。それなら人
生が勝ち負けになる。勝った時も偽の喜
びで、高慢の中にいる。主はそういうも
のから解放するために来て下さった。自
己中心と虚栄の自分の本当の姿を認める
事から始まる。