2007年10月26日(金)

「あなたのしもべを傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば私は全き者となり、大きな罪を免れて、きよくなるでしょう」詩篇19:13



ダビデはこのように祈った。これは
ダビデの祈りであった。高慢から守
られるようにと、日毎に祈っていた。
それゆえ、神はダビデの祈りに答え
て、守られ、神と人に仕えて行ける
ようにされた。クリスチャンともな
れば、表面だって自惚れたり、自慢
したり、威張ったりはしない。誰し
もきっと末席に座るだろう。しかし、
心の中はどうだろう。人を見下した
り、軽蔑したり、裁いたり、人と比
較して心の中で、自分はそのように
愚かではないと、自分ならそのよう
にはしないと、自分を誇ったり、こ
れらは高ぶりの罪だ。又、神の言葉
に対してはどうだろう。へりくだっ
ているだろうか。神はあなたを愛し
ていると言われる。しかし、いいや、
断じてそんな事はない、と心では受
け取っていない。頭では、そうなん
だと思うが、心では受け取らない。
愛されるはずがないと思っている。
又、赦しを御言葉のままに受け取ら
ない。赦されている事を信じない。
だから、いつまでたっても心の芯に
平安がない。頭と心は違う。心で受
け取らないなら、御言葉を否定して
いる事になる。それは高ぶりだ。
「わたしが目を留める者は、へりく
だって心砕かれ、わたしのことばに
おののく者だ」御言葉をそのままに
受け取る事が、へりくだる事だ。
-------------------
みことばの約束を信じ受け入れよう。
みことばが命となり傲慢な者の中に
働かれるのだ。自分さえ欺く自我の
強い要求に支配されず、みことばの
うながしに素直に従って行けますよ
うに。