2008年01月26日(土)

「いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです」ピリピ2:16

神から何か語られている事、示されて
いる事があるだろうか。御言葉通して
語りかけられる将来のビジョン、就く
べき仕事、具体的に今、何かをする事、
信仰告白やバプテスマの決心や、又は
悔い改めかも知れない。誰かと仲直り
する事、誰かに証しをする事、誰かを
サポートする事・・だろうか。神が思
いを与え、祈り続ける中で、確かに神
が語り、導いておられるとの確信が来
たなら、行なう事が大切だ。「すべて
のことを、つぶやかず、疑わずに行な
いなさい」。行なう時に、心に来るの
が「私に出来るのだろうか?」「難し
いのでは?」「私にはとうてい無理」
否定的、消極的、尻込みする思いだ。
しかし、「神が」志を立てさせ、「神
が」行わせて下さる、主語は「神」だ。
自分ではない。ここで信仰を持って一
歩踏み出そう。そうするなら、神が、
「非難されるところのない純真な者」
「傷の無い者」として下さり、「世の
光として輝か」せて下さる。あなたが
自分で純真な者となり、自分で輝くの
でなく、あなたが御言葉に従って行く
なら、神が、あなたを、光として輝か
せて下さるのだ。だから、私達のなす
べき事は、御言葉に従うことだ。御言
葉に従うことが、御言葉をしっかり握
ることであり、従わない事は御言葉を
捨てることになる。
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自分で輝くのではない。御言葉に従う時、
神が私たちを世の光として輝かせて下さ
る。何と嬉しい事だろう。今、目の前に
示されている御言葉に従おう。主の栄光
のために用いて、世の光として輝かせて
下さる。