2008年03月26日(水)

「あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです」マタイ7:2

ある家庭に来客があり、ケーキをもら
った。子供はそのケーキを食べたいと、
ねだり言い張った。母親はもう夕食だ
から、食後にするように言った。しか
し、美味しそうなケーキに、子供は、
今食べたいと主張し、聞かず譲らず、
段々言い争いになった。母親は「"親に
従いなさい"とあるでしょう!」と叱っ
た。子供も負けず「"子どもを怒らせる
な""求める者に与え、借りる者は断る
な"とある!」と言った。こんな光景を
経験するかも知れない。御言葉を武器
に争ってしまう。どこが違うのか。自
分の都合のために御言葉を使い、その
御言葉を相手に押しつける態度だ。動
機が間違っている。神のため、相手の
ためでなく、「自分は正しい」に立っ
た自己主張のためだ。そこに愛は無く、
争いを引き起こすばかりだ。相手の心
に響き、相手も素直に「そうだ」と思
え、相手を建て上げ、神の潤いが現れ
る事は決して無い。往々にして、御言
葉の物差しを相手に向けて裁く。する
と裁きが返って来る。自分が量った量
りで、量り返されるからだ。相手の欠
点がよく見えて高い基準で裁くなら、
その基準がそのまま自分に返り、その
高度の基準で今度は自分がさばかれる
事になる。「あわれみはさばきに向か
って勝ち誇る」愛とあわれみがいのち
だ。まず自分の中の裁く心を「認め
る」事から始まる。憐れみの心を与え
て下さる。
・・・・・
御言葉の知識が増すと、御言葉の物差
しを人に向けて裁き出す。自分が神の
座に着く恐ろしい高慢であり、それな
ら知らない方が良い。御言葉の下に自
分を置き「へりくだって心砕かれ、わ
たしの言葉におののく者」であります
ように。