2009年02月23日(月)

「訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです」ヘブル12:7



アブラハムは示す地に行け、大いなる国民とするとの示しに従い、75歳の時に生まれ故郷を出た。なかなか子供は生まれず、100歳になった時に、妻のサラに子供が与えられた。

25年間待った。その間、数々の失敗もし、苦しみを通りながら神の訓練を受けた。父もエサウも騙したヤコブは、家におれなくなり、叔父ラバンのもとへ。

そこで、神の御手が臨み、訓練を受けた。叔父に騙され、ラケルをめとるのに14年の歳月をかけ、20年間暑さ寒さの中で厳しい労働をし、訓練を受けた。

ヨセフは訓練、訓練の歩みであった。兄たちに、隊商に売られてエジプトへ、エジプトでは全くの無実の罪で牢獄へ。

神が正義ならなぜこんな事に?ヨセフへの訓練であった。
苦しい日々であったが、ヨセフは訓練を通して、主の御手により砕かれ、練られ、鍛えられ、築き上げられた。

サウルに命を狙われ続け、常に死と隣り合わせであったダビデ、逃亡を続け、その恐怖はいかばかりだったろう。

訓練は決して喜ばしくなく、辛く悲しく苦しいが、逃げないで受け取って行く時、間に合う器に変えられ、造り上げられて行く。

祝福されて、主の器として用いられて行く。訓練を逃げて、避けている限り、祝福を取り逃がす事になる。逃げていないか、振り返ってみよう。
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苦しい試練は必ず益とされる。そこに共にいて下さる神様を一番近く感じる時だ。出来ない限界も知り祈り求める事が出来る。