2025年08月24日(日)

「あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わ りに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか」ルカ11:10



ある人の友人が、真夜中に訪れた。ところが、パンを夕食で食べ
切って、切らしていた。それで隣家に行き、パンを三つ貸して欲し
いと頼んだ。しかし、こんな時間に迷惑この上なく、一つのフロア
であり、自分が動けば、せっかく寝た子どもが起きてしまうと、断
られた。しかし空手で帰れず、借りるしか無く、引き下がれない。

尚も、執ように求め続けた。その結果、隣人はパン三つを与え
てくれた。しかしその動機は、うるさくて、早く立ち去って欲しいか
らであって、愛や親切からではない。だが神は違う。御言葉は
そこを強調している。御父は、うるさいからではなく、愛ゆえに与
えて下さる。動機は、愛だ。アウグスチヌスの母モニカの祈りは
有名だ。放蕩息子のために、モニカは何年も祈り続けた。ところ
が、祈れば祈るほどますます息子は堕落して行く。

見えるところは正反対だ。状況はどんどん悪くなる。だが「涙の子
は滅びない」と励まされ、更に涙と共に祈り続けた。そんな中、息
子がローマへ行くと言う。大変な歓楽街、取り返しがつかぬほど
堕落してしまうのでは。思い留まるよう切に祈った。が、ローマへ
行ってしまった。だが、まさにそのローマで、彼は悔い改め、神に
立ち返ったのだ。

祈りは見事に答えられた。祈りの答えに「神の時」がある。時が
満ちると実現する。失望せずに祈り続けよう。事態が、更に悪く
なって行くように見えたとしても、時が来ると、必ず結実する。長
い祈りの答えを見る。御心に適った祈りは、必ず叶えられる。祈
り続けよう。

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主は、ガンガンと、時間をかけ執拗に祈るから、与えて下さるので
はない。世の宗教がそうなので、勘違いするが、私たちが子であ
り、御父が愛して下さっているから、与えて下さる。だから、祈れと。
愛されている、信頼のもとで祈れるとは、何と幸いだろう。