2026年02月18日(水) 「ヨハネの教えを聞いたすべての民は、取税人たちさえ、ヨハネ のバプテスマを受けて、神の正しいことを認めたのです」ルカ7:29
「ヨハネの教えを聞いたすべての民は、取税人たちさえ、ヨハネ のバプテスマを受けて、神の正しいことを認めたのです」ルカ7:29
罪深く、天国から最も遠いと言われた取税人たちが、ヨハネのバプ テスマを受けた。それは神に従い、神を認めるという事だった。最 も信仰深いと見られていたパリサイ人、律法学者たちはヨハネのメ ッセージを受け入れず、ヨハネのバプテスマを拒んだ。神を認めな いということだ。目の前で主の言葉を聞き、奇跡を見ても、尚且つ 主を拒んだ。 どこに問題があったのだろう。それは彼らの心にあって、心が頑な で、自分のメガネでしか見ない。人は誰しも、自分の都合の良いよ うに物事を見、都合の良い事だけを聞くと言われる。そんな独断と 偏見が多かれ少なかれあるが、それが非常に強く、自分のメガネに 合わないなら、決して信じない。固い土地は御言葉をはじき返す。 自分のメガネを正しいとする時、御言葉の入る余地はない。私たち はどうだろう。偏見で物事を見ていないだろうか。又、パリサイ人 たちは、外側は立派に見え、戒めを守っていたが、そこに心は無か った。愛とあわれみは無く、つまり本質的には、何も行なってはい なかった。決して戒めを行ない得ない、自分を知り、悔い改める事 から始まる。 そこに神の恵みと力が働く。御言葉の下に自分を置き、へりくだっ て主に頼る時、心は大海のような平安を得る。恵みの世界は、何と パリサイ人の世界と異っている事だろう。喜びと安堵でいっぱいだ。 ------------ 主の恵みと平安に支えられているはずの信仰生活も、絶えず何かに 遮られて、恵みが見えなくなる危険がある。目に見えない信仰によ る喜びを失わないよう、弱さを覚えていたい。