2024年12月16日(月)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、 世にその誤りを認めさせます」ヨハネ16:8


ある女性の証しだ。小さい時から人一倍頑張り、塾に通い、成績も
良く優等生で来た。周囲からもほめられ、自分でも、羽目をはずす
事もなく、真面目で良い子だと思っていた。ある時、友人に誘われ
教会に行った。「罪」という事が、わからなかった。自分は真面目
に生活して来て、非行に走った事もなく、法を犯す事もしていない。

しかし友人と午後は一緒に勉強したり、又教会の交わりも楽しく、
ずっと通い続けていた。そんなある日、放蕩息子の箇所の学びがあ
った。その時に、弟息子ではなく、兄息子が、まさに自分に重なる
事に愕然とした。家出して行方不明の弟を、心配もせず、軽蔑し、
見下して、そして帰って来た弟を受け入れる父親に、不満を爆発さ
せる。誰にも見せる事の無い、自分の内側だった。

ニコニコと、誰にもいい顔をしつつ、実は出来ない子を見下してい
た。勉強をしないからだと。自分は正しく、良い人間であり、心の
中では、不良の子たちを冷ややかに裁いていた。そして心の中は、
決して満たされてはおらず、怒りと不満でいっぱいだった。絶えず
ストレスを抱えていた。突然、御霊の光で自分の姿があらわにされ、
初めて罪がわかった瞬間だった。

心底自分は罪人であった。頭で聞いていた主の十字架が、まさに自
分のためであると迫り、悔い改めが与えられた。御霊が働かれ、罪
を教え、十字架の意味をわかるようにして下さった。御霊の光によ
り、自分も知らない、自分の本当の姿が照らし出し、真理へと導か
れる。
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自分の事として自分の罪に向き合うよう、御霊の示しが来る。本当
に罪人だと心に刺さってくる。主が共におられることを実感して、
へりくだらされる。御霊の示しは祝福だ。