2025年11月02日(日)

「私は、神の聖所にはいり、ついに、彼らの最後を悟っ た」詩篇73:17


詩篇記者は、悪者が栄えるのを見て、ひどく落ち込んだ。
彼らは楽しげで、肥え太り、何の苦しみの無く、安らかで、
富を増している。それに引き換え、自分は惨めで、苦しみ
ばかりで、何の良い事もない。この足はたわみそうで、歩
みはすべるばかりだと。どういう事なのか。なぜ、神を信
じる自分が惨めで、神を信じない者が栄えるのか。

私たちも、あるだろうか。未信者の方が罪の悩みもなく、
「ねばならない」重荷も無く、窮屈でなく、楽そうで、世を自
由に楽しみ、自分より良いではないか。不満だらけだ。そ
の彼が、神の聖所に入り、光を得た。実は、彼の不満、妬
み、愚痴、様々なうつ々悶々の原因は、神の近くにいない
事によると悟った。「私にとって、神の近くにいることが幸
せ」なのだと。

真の問題は、外側の事でなく、自分と神との関係にあった。
自分が神から離れていて、神を見ずに、神以外のものを見
ているから、又、神以外のものを求めているから、喜びも平
安も無い。妬みと不満で一杯だった。信仰にとって根本的
なことだ。私たちもどうだろう。不満が募る時、イライラする
時、真の問題はその状況でなく、自分と神との関係にある。
神から離れているので、心がすさんでいる。

逆に、神と親しい交わりの中にいるなら、状況がどんなに悲
惨でも、大嵐の中でも、心は不思議な、主の平安を経験する。
問題が、問題でなくなるのだ。今、主との関係はどうだろう。
もし距離があって空しいなら、今すぐ立ち返ろう。全きいこい
に戻れと言われる。主との交わりの中でのみ、世には無い
幸せを感じることができる。

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あらゆる事が、主と自分の関係の問題だと、見せられる。
主に近く歩むと、喜びがあり、問題が問題で無くなるが、
主から目が離れると、肉で歩み、不満、満たされない思い、
イライラとなる。主のもとへ行こう。