2026年03月23日(月)

「イエスは・・彼に言われた『よくなりたいか。』」ヨハネ5:6



アルコール依存症の人は、酒が売られてるから、止められないと言
い、ギャンブル依存症の人は、ギャンブルがあるから悪いと言う。
つまり環境が悪いから、よくないと言う。しかし同じ環境にいて、
アルコール依存症にも、ギャンブル依存症にもならない人々が大勢
いる。それなら、これは環境のせいでは無いという事だ。

何が問題なのだろう。私たちも、形は違うが同様だろうか。止めら
れない習慣の底にあるものは、実は、止めたくない。止められない
のでなく、止めたくない。思い煩い症、心配症の人々もいるが、思
い煩っていたいのだ。思い煩いがないと不安になり、わざわざ思い
煩いを取って来る。そして安心する。

どうだろう。思い煩いが好きで、思い煩い依存だ。おかしな話だが、
心の底を正直にみると、そうなっている。主はいつでも「よくなり
たいか」と問うて下さる。出来るかとは、問われない。「・・たいか」
だ。本心で良くなりたいのだろうか。実はこのままが、心地良いの
だろうか。

建前でなく、本音はどうなのだろう。環境のせいにせず、人のせい
にせず、まず自らの状態を認め、徹底無力を認める時、主はいやし
て下さる。しばしば罪を憎んでいない。罪を楽しんで愛している。
罪は甘く快楽があるから、肉は心地良い。罪が苦ければ、誘惑にな
どならない。

しかし罪をもてあそんではならない。大きな痛手を負う。主を愛す
るとは、罪を憎む事だ。本音を御霊に照らして頂いて、主に向き合
おう。主は助けて下さる。
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出来る出来ないではなく、「出来ますように」と心から祈れている
だろうか。主の「よくなりたいか」の問いに、よくなりたいですと
明確に答えたい。明け渡していきたい。