2025年05月03日(土)

「彼は・・『私たちはメシヤ(訳して言えば、キリスト)に会った』と言 った。彼はシモンをイエスのもとに連れて来た」ヨハネ1:41



ある人が証しした。若くして結婚し海外転勤となり、見知らぬ地に
住んだ時、隣家の夫妻が大変親切にてくれた。何もわからず不
安の中で、様々必要な店や、諸事務的な対応、近所の様子や
情報を教えくれた。常に、快く対応してくれた。その夫妻がクリス
チャンで、よくお茶や食事に招いてくれた。教会で特別集会があ
り、誘われると、行きたいと思い夫婦で出席した。

その日、目を閉じた祈りの中「信じたい人は手を上げて下さい」の
招きに、夫婦共に手を上げていた。集会後に知り、双方で驚いた。
隣家の夫妻の愛情に、心が耕されていた。別の人も同じようだっ
た。引っ越し先で、隣家のクリスチャン夫妻の親切を受けて、様々
助けてもらい、大変有難かった。教会に誘われた時に、自分は無
宗教と思っていたので、普通なら行かないが、親切の恩義があり、
お返しのつもりで行った。

その日、御言葉はよくわからなかった。しかし教会の人々はやさし
く、隣家はずっと温かく接してくれて、聖書はわからないが、嫌で
は無いので、続けて通っていた。わからないまま聞いていた、ある
時、突然心に御言葉がぐいぐい入り、罪が示され、悔い改めに
導かれた。主を信じ心に喜びが満ちた。

私たちは、人々を主のもとに連れて行くことができる。主に喜ばれ
る、尊い働きだ。愛の行ないも、そのために用いて下さる。誰かを、
主のもとに連れて行けるよう、又、主からの機会を捕らえて、主に
喜ばれる事を行なって行けるよう、まず祈ろう。

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知人に誘われて、何気なく教会に行ったが、御言葉にとらえられ、
救われたとの証しを、時折耳にする。求めて〃辿りつく人やら様々
だ。聞いたことの無い方を信じることができない。伝えたい人の
名前を挙げて祈ることから始めよう。