2001年09月24日(月)

「だから、あすのための心配は無用です。あすの事はあすが心配します。労苦はその日その日に十分あります」(マタイ6:34)



 夫を亡くした婦人が、聖書日課とその解き明かし
の文章が、一日一日生きて行くその日の糧となった。
日毎の霊の糧に励まされ一日一日を生きて言った。
今日という日は神からの贈り物であり、昨日にしが
みつくのではなく、今日をしっかり生きようと励ま
されていた。明日の事を考えても、明日があるかど
うか分からない。確かな事は今日という日がある事
だ。婦人は結婚生活の素晴らしい思い出はあるが、
過去にしがみついたり、明日に生きれない事をよく
わかっていた。人生は一日単位であり、その日一日
を生き、最善を尽くす事が自分に与えられた責任だ。
神はどんな時にも思い煩わないで、祈れと言われる。
一日を生き始めた時、新たな人生を築く事が出来、
大きな目標を達成する事が出来た。私達は今日を生
きているか。これは大切な事だ。多くの人は過去か
未来に生きて、今日をつぶしてしまっている。