2009年06月21日(日)

「あなたがたの信仰が薄いからです・・もしからし種ほどの信仰があったら・・」マタイ17:20


「信仰が薄い」と「不信仰」は異なる。「信仰が薄い」とは、信仰が不足してい
ることであり、信仰が小さいことだ。

現に信仰はあるが、小さい。「不信仰」とは信仰が無いこと、神を無視し、否定
することだ。海上歩行の箇所で、ペテロが「来なさい」という主の御言葉を受け
て、水の上を歩き出した。

しかし、風を見て恐れをなし、ぶくぶく沈んだ。主はすぐに手を伸ばして、ペテ
ロをつかみ「信仰の薄い人だな」と言われた。

ペテロは御言葉さえあれば、主のもとへ行けるという「信仰」があった。主に不
可能は無いと信じていた。だから、「と命じて下さい」と言った。信仰があった
から、湖の上を歩けた。

しかし、主から目を離し、風を見た途端、恐怖に支配されてしまった。信仰が無
かったわけでなく、あったが、充分に働かせる事ができなかった。私たちもすで
に信仰は与えられている。

からし種ほどの信仰が、山を動かすと主は言われた。からし種とは極めて小さな
種だ。そのような極小の信仰でよい。それを発揮させて行く事が大切だ。

すでに信仰を持っている、だから充分に機能させて行きなさいと主は言われる。
信仰が薄いが、信仰は現存している。信仰が無いのでは無い。薄い信仰を働かせ
て行く時に、その信仰は必ず成長して行く。

山というのは、絶対に動かない不動のものを表している。極小の信仰で、その不
動のものが、絶対困難な大きな問題の山が動いて、導かれて行く。

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信仰が与えられているとは、何と嬉しい事だろう!信仰は不安の中でこそ、機能
し発揮し、強められて行く。今、問題と自分を見ていたら、その目を主に転じよ
う。「助けて」と言おう。すぐにつかんで下さる。この主と今日も歩める喜び!

(★誠に申し訳ありませんが、係が留守しますので、3日間お休みします。25
日から配信させて頂きますm(_ _)m)