2001年10月25日(木)

 「私は見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何と答えるかを見よう」(ハバクク2:2)

 

焚き火をした事があるだろうか。
焚き火に、丸太を投げ込み、少し
づつ炎が燃え、そして木切れを燃
え上がらせる。
時には、焚き木が燃え上がるのに、
数分かかる事もある。
モーセはこの、柴が火元となって
燃え上がったのに、柴を燃え尽く
さない炎・・を見定めようと近寄
ったのだった。
「なぜ柴が燃えて行かないのか、
大いなる光景を見よう」と考えた。
モーセが近寄って見つめていると
神が「ああ、やっと私に注意を向
けたな」と言っているかのように
モーセに語りかけられた。
神は今も私達に語りかけておられ
る。私達の「燃える柴」は何だろ
う。友人の忠告、礼拝メッセージ
霊的導き手の助言、また,突如の
試練や病気、対人関係の困難だろ
うか。神は私達の注意を引こうと
されている。
私達は常に多忙で御声を聞き逃し
てしまう。神があなたの注意を
ご自分に向けさせたいサインを見
逃すな。