2010年02月22日(月)

「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです」マタイ8:25


漁師だった弟子たちは、舟の舵取りなどお手のものだった。毎日毎日漁に出ているわけで、たやすい事であった。湖を渡る時も、別に自分たちの力で、ゆうに向こう岸に渡れると思っていただろう。しかし、嵐に会い、四苦八苦し、自力ではどうにもならない状況に直面し、初めて主に助けを求めた。

それまで主の助けを必要とせず、自分たちの力だけで、間に合ったのだ。どうにもこうにもならない自分たちの限界と無力を認めて、「主よ。助けて下さい」と求めた。すると主は起き上がって、風と湖をしかりつけられた。

その時、舟が沈没しかけの暴風雨がピタリと止んだ。彼らは嵐に会って、パニックで、自分たちの長年の漁師としての経験も、自負も何の役にも立たなかった。「助けて下さい」の求めにより、主は起き上がって、奇跡をなし、救って下さった。

私たちも人生の嵐に会う。懸命に舟をこぎ、自分で何とかしようとして、パニックになる。対人関係の悩み、経済的苦境、別離、仕事のトラブル、健康上の問題・・自分の力で解決しようとして、もがいていないか。どうしても委ねられない、明け渡せない部分が見えて来る。

自分には出来ないことを認め、「主よ。助けて下さい」と自分の人生の舵取りを主に渡すことだ。その時、心に平安が臨む。心の悶々、不安、煩い、恐れが消えて、心がなぎになる。
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主よ助けて下さいと一日に何度言っているだろうか。いつものやり方、いつもの習慣でやりくりして行けるなら、どこに信仰が増し加わる事があるだろう。主と共に生きている全き平安、喜び、感謝を知って生きる者にされるため主は風を送られる。