2010年04月24日(土)

「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません」ルカ18:17

親たちは、主に祝福していただこうと、子供達をみもとに連れて来た。ところが、
弟子達がそれを叱った。弟子達にとって、幼子は、妨げとは言わないが、わきま
えなく騒ぎ、役に立たず、教えも理解できず「足手まとい」な者であった。

しかし主は、「止めてはいけない」と、幼子達をみもとに招かれた。そのような
幼子は、ただ「受ける」しかない、受け身の弱い存在であり、親の世話がなけれ
ば、一日たりとも生きて行けない、そんな子供の無力さ、弱さに、主は「神の国
はこのような者たちのもの」と言われた。

幼児は無力だ。何の力も、知恵も、判断力も無い。ただただ恵みを受けることに
よって、誰かを信頼することによってしか生きられない。自力で生きる事ができ
ない。しかし、だからからこそ、素直で、「来なさい」との声に、何もためらわ
ずに従う。

自分を抱いてくれる人の腕に、心も身体も命までも全重量を預けきって、すやす
やと気持ち良く眠る。主はそんな幼子の無力さ、弱さを、そのまま受け止め、祝
福された。

そして、私たちに、幼子のように神の国を受け入れる者であれと、言われた。親
の腕の中で、何の不安も心配もなく、安らかに眠る幼子、何と幸せだろう。親に
全面的に頼らなければ生きて行けないからこそ、安らかだ。

私たちの親である御父に、素直に、全面的に頼ることを、御父は喜ばれる。

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幼子は親に依存しきっている。親がいさえすれば、どのような悲惨な状況の中だ
としても、安心で幸せだ。親がいればよい。親がすべてだ。私たちも同様だ。御
父の腕の中で、何もかもあずけて、幼子のように安らいでいよう。