2010年06月24日(木)

「イエスは弟子たちに、『さあ、向こう岸に渡ろう』と言われた」マルコ4:35

主は弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。弟子たちは自分たちが渡ろう
と考えたのではなく、主から発した事であた。主の指示に従ったなら、嵐に会っ
た。

「おぼれて死にそう」なほど、身に危険を覚える暴風雨であった。この場合、主
に従わずに、岸にとどまっておれば、嵐に会わなかった。私たちは、主の御心に
従う中で、嵐に会うということだ。

御心に従わないからでなく、従ったから試練に会った。試練は悪ではない。順調
が善、逆境は悪との根深い価値観が無いだろうか。逆境は悪なので、神に愛され
ていないと思ってしまう。その間違った価値観が苦しみを大きくする。

試練は私たちを訓練し、鍛え、きよめ、信仰を成長させてくれる。試練が無いな
ら成長はない。罪の性質、頑強な自我は、どうしようもないほど頑なであり、砕
かれない限りどうにもならない。

試練はそれをしてくれる。信仰生活に試練がある事をわきまえていよう。困難に
直面すると「何で?何で?」と驚き怪しみ、パニックになるだろうか。この試練
の舟に、自然をも一言葉で、支配する力を持つ、主が共におられることを覚えよ
う。

岸にいたなら試練に会わないが、このまことに生ける神である主の御力を知るこ
ともなかった。試練の中でこそ、主の御力を体験する。今、嵐なら、そのまった
だ中を通過させて下さり、向こう岸へ伴って下さる。

試練を必ず乗り越えて行ける。耐えられない試練はなく、脱出の道がある。試練
は主から来ている。その中で、主の真実、主のご愛を知れる。

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溺れて死ぬのでなく、向こう岸へ必ず着ける。今の問題は乗り越える事ができ
る。逃げたい一心で、嫌々渋々もがき通るのでは、結局痛いだけで、何も学べな
い。訓練は受けようとの姿勢でいるなら、新たに神を知り、自分を知り、多くを
学べる。