2010年07月25日(日)

「神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか」ルカ18:8

この人は裁判官であり、神を恐れず人を人とも思わない人物だ。裁判官だとい
う事は法律にそって裁くという事だ。

人格的にはこういう人だが、やもめが余りにもひっきりなしにやって来て、うる
さいから裁判をする事にした。こういう人でも、うるさいからの理由で、裁判を
するのであれば、ましてや完全な愛と完全な義をお持ちの神が、正しい裁きをつ
けずに、放っておかれるわけがないという事だ。

つまりこんな人格の裁判官でもそうするのだから、「ましてや神は」という事を
言っている。とんでもない人物を出して来て、神がどんなお方であるかを対比さ
せている。

御子を賜うまでの愛で愛し、慈しみ、常に配慮して下さり、私達の最善を考えて
下さっているお方なのだから、失望はあり得ないと。祈りの執拗さより、祈る相
手がどんなお方かが重要だ。神はすみやかに、正しいさばきをして下さる。

「パンを三つ貸してくれ」としつこく頼み続けて、パンを得た人も、友達だから
でなく執拗さのゆえに勝ち取った。ここでも、「ましてや父である神は」執拗さ
ゆえでなく、子だから良い物を下さると言っている。御父がどんなお方で、どん
なに愛して下さっているかを覚えよう。常に最善をして下さる。

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不正の裁判官も、パンをくれた人も、別に愛情と配慮があったわけではない。し
つこくてうるさいからだった。しかし、主はそうではない。すべての道筋に心を
配っていて下さる方は、極みまで愛し、慈しみのゆえに一番良いものを、一番ふ
さわしいものを与えて下さる。