2010年08月25日(水)

「・・その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた」創世記32:25



ヤコブは、神の祝福を欲しいと強く願ったが、肉的な方法で手に入れた。兄エサウと父親を騙し、その結果、兄に殺されかけて逃亡。叔父ラバンのもとへ身を寄せる。騙したヤコブは、ラバンに騙され、長年の労働の苦しみの末、時が来て、神から家族を連れての帰郷に導かれた。

ヤコブが一番恐れていた事は、兄エサウの自分への殺意だった。四百人を引き連れてやって来ると聞き、殺されるとの恐怖で怯え、おののいた。策略を巡らし、三つの宿営に分け、順番に進ませ、自分は一番後ろにいて、自分を守った。相変わらずの狡猾なヤコブであった。

一人残った時に、ある人が夜明けまで彼と格闘した。ヤコブが勝つが、もものつがいがはずれ、びっこになった。格闘して必死で祈り、ヤコブは強い自我が砕かれた。自分だけは助かろうと一番後ろにいたヤコブが、先頭に立ち、エサウに七度も地に伏しておじぎをした。自我が砕かれたヤコブは変えられた。あのように
恐れていたエサウと、率先して対応し、劇的な和解が与えられた。

状況でも相手でもなく、ヤコブが変えられた。自分で自我を砕く事はできない。神が砕いて下さる。そして砕かれる時、根本的に変えられる。和解できる者とされる。砕きは決して嬉しい事ではなく、痛いが、自分が変えられる、大きな祝福だ。
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肉の方法で目の前の状況と格闘して行くのではなく、自分の肉と向き合い、認め自我が砕かれるように祈り求めて行きたい。弱いままでそこに現れる主の力を喜んでおれるように。