2010年10月25日(月)

「『あなたの手にあるそれは何か』彼は答えた。『杖です』」出エジプト4:2


出エジプトのリーダーとして、「今、行け。あなたをパロのもとに遣わす」との神の言葉に、モーセはどんなに驚き、困惑した事だろう。「今さら何を?」かつて40歳の時に、彼は自信に満ち溢れ、イスラエルを救うのは自分とばかりに、勇み立ったが、拒絶され、ミデアンの地へ逃亡。40年の遊牧生活を経て80歳になっていた。

かつての野心も名誉心も独善的な正義感も失せ、羊を飼う歳月、家庭も持ち、平穏な日々に小さな幸せも感じていただろう。このまま静かに穏やかに人生を全うしたい。それに今やエジプトでの地位も力も何も無い。一介の年老いた羊飼いに何が出来よう。尻込みするモーセを、神もそれは承知だとばかりに、説得して行かれる。そして、羊飼いの杖を「それを地に投げよ」と言われ、地に投げると蛇になった。

次に「その尾をつかめ」と。荒野でモーセは蛇の恐ろしさを知り、尾をつかむ事がどんなに危険かを知っていた。神の命令に従い、信仰によってその尾をつかんだ。するとそれは杖になった。神の杖とされていた。その杖を手に取り、しるしを行なうよう言われた。

モーセは、神の杖を持ち、エジプトへ帰った。羊飼いの杖を神の杖として用いられるのだ。それは特別なものでなく、普段モーセが使っていた古びた杖だ。神は、すでにあなたの手にあるものを用いられる。一旦地に投げたように、それを献げる時、きよめて神の栄光のために用いて下さる。「あなたの手にあるそれは何か」
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もう少しあれが出来てから、これがあればと神様に自分を献げていく事に尻込みしていないだろうか。今手にあるもので十分と言われる。それ以上いらないとはなんと感謝な事だろう。信仰によって素直に差し出す心を神様が祝して下さる。