2011年04月24日(日)

「私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます」Tコリント12:23




ある人が、子供の頃からずっと自信を持てずに成長した。人と比較しては、落ち
込んでいた。恐れて人前に立てず、尻込みし、劣等感のかたまりであった。青年
になり、父親の仕事を手伝う事になった。父親のもとで、一生懸命に身を粉にし
て働いた。段々仕事を覚え、身について行った。

積極的に仕事に関わり、アイデアを出し、新しい企画も担当するようになった。
少しづつ仕事に自信が持てた。何より父親が、そんな自分を喜んでくれている事
が嬉しかった。しかし、それさえも、心に深く巣くう劣等感の解決にはならなか
った。

真の解決が来たのは、後に主イエスに出会い、キリストのからだである真理を知
った時だった。私たちはキリストのからだであり「それどころか、比較的弱いと
見られる器官がかえってなくてはならない」、目が手に向かい、頭が足に向かい、
あなたを必要としないという事ができない。

一人一人が頭、目、鼻、口、手、足・・として、神が一人一人をなくてはならな
い、大切な、尊い者として、見ておられる事を知った。紛れもなく神が自分を必
要として下さっている。この事が救いとなり、目が開かれた時に、初めて自分が
変えられた。
人と比較する必要がない。卑下する事なく、等身大で、ありのままの自分で、神
に従って行けばよい。初めて真に喜びで満たされた。

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神視点に立つ時、御言葉によって物事を捕らえる時、私たちは変えられる。自分
の肉の価値観でなく、この世の価値観でなく、神様の価値観が心に入る。その時、
180度変えられる。御言葉を素直に受け入れ、信じて行きたい。