2011年06月24日(金)

「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです」ヘブル11:6

                            
信仰は目には見えない。それは、物理的に耳には聞こえない。触れる事も感じる事も出来ない。日頃、慣れている五感では感じる事の出来ないものだ。私たちは信仰を感じたいと思う。そのため、しばしば、何とか五感で感じようとするが、決して感じることは出来ない。

そうでなく、神の語られた御言葉に立つことが「信仰」であり、五感では感じる事が出来ないが、御言葉に立って、つかむ事ができるものだ。第六の感覚だ。それによって、無いものを有るもののように呼ばれる方のみわざを体験する。そして、信仰が最も働き、大きく成長するのは「不可能」の土壌においてだ。

困難な状況ではなく、絶望的状況、全く可能性ゼロの状況においてだ。あなたも経験あるだろうか。今、可能性ゼロの状況なら感謝しよう。それこそが、「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る」場所だ。ラザロは死んだ上に、更にもう腐っていた。だめ押しだ。だめ押しのこの現状か、よみがえると言われた主の言葉か、どちらを選択するかだ。

常に目の前の状況か、御言葉か、自らの選択だ。そして、目に見える状況と御言葉が正反対だ。状況は、御言葉を否定するかのようだ。しかし、御言葉を信じるなら、神の奇跡を見る。奇跡が起きるのは、不可能の土壌だ。
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御言葉に立つからこそ、最も暗く絶望の死を前にしても死んでもよみがえると希望をもって今を生きられる。御言葉に立ち、目に見える状況、感情を越えて勝利しよう。