2011年08月25日(木)

「けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです」ローマ8:9


ある人の証しだ。小さい時から、親の叱咤激励により、頑張って〃生きて来た。何でも懸命に頑張る事により、家庭でも学校でも、友人間でも評価を得て来た。「良い子」として、周囲に認められたくて必死だった。人に認められる事で自信となった。それが信仰者となった後も、気づかないまま同じ価値観で歩んでいた。

「良い子」が、「良いクリスチャン」に取って代わっただけで、懸命に頑張って、神と人の賞賛を得たい、評価を得て、認められたいと必死だった。とにかく自分に付加価値をつけて、何とか自信を保とうとした。しかし、それなら比較の上に立っているわけで、自分に優る人など、幾らでも出て来る。すると劣等感に落ち込んだ。又、どんなに頑張っても、律法を守り切る事は不可能だ。

喜んでいる振りをしていても、心の中では、自分はだめだ、だめだと、常に喜びも平安も無かった。自分の力で歩んでいて、気づかなかった。段々と、出来ない自分を見せられた。頑張るが出来ない。すると更に頑張ろうとする。しかし、律法を守る事は不可能だ。様々な事を通して砕かれ、自信を砕かれた。

そして、それが幸いであり、自分の弱さを心底認める事ができた。弱いままで、愛され受け入れられている事を初めて経験し、安堵と平安が心に広がった。今まで決して人に弱さを見せられなかったのに、人にも弱音を吐けるようになった。すると、信仰生活が楽しくなり、喜びに変えられた。
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肉に生きるなら、昨日まで喜んで頑張れても今日はくじけてしまうもろい者だ。御霊に生かされ、御霊の中にいる者とされている事実に固く立ち、足りないままで愛して下さる御神と共に歩んでいこう。