2001年12月25日(火) 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイ16:24)
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイ16:24)
クリスマスおめでとうございます。 御子を私達のために遣わして下さった 父なる神に心からの感謝をささげます キリストには一つの罪も無かった。 一つの罪も無いキリストが、犯罪者の かかる十字架につかれた。 これは正しい事だろうか。罪の無い者 が極悪人と共に十字架についておられ る。正しいか否かについて言えば、キ リストは完全に正しかった。 だとすれば十字架にかかる必要は無か った。キリストが正しさを主張された なら私達の救いは無かった。 永遠の滅びに向かったであろう。 キリストは完全に正しかったのに、 十字架につかれた。私達もキリストに ならい、正しいに立つのではなく、常 に神のみこころに立てるように。 それは、十字架を負う事であり、自分 を捨てなければ、出来る事ではない。 神の喜ばれる事、神の望まれる事、神 のお心を歩んで行けるように。 自分に死んで、みこころを選び取れる ように。