2012年01月25日(水)

「私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このらい病を直してくれると思っていたのに」U列王5:11 


王から重んじられ、勇士であり、戦勝〃で名を馳せていた将軍ナアマン。名誉も地位も持っていたが、彼にはどうにもできない苦悩があった。らい病に冒されていた。らい病は回復する見込みはなく、悪化の一途であり、どんな犠牲を払っても癒されたい。そんな時に、捕虜のユダヤ人である若い娘から、治してくれる預言者がいる事を聞いた。

エリシャは、ナアマンを訪ねるが、ナアマンは出て来る事もせず、使いの者にヨルダン川で7度身を洗うようにと。そうすれば癒されると告げさせる。ナアマンは憤り、立ち去る。エリシャが会いもしない事、手を置いて祈りの儀式が無かった事、ヨルダン川で身を浸すなどとんでもないと不満爆発だった。ナアマンのプライドがひどく傷ついた。エリシャに軽くあしらわれた事に、又、汚い川で皆の前で身を浸すなど、屈辱であった。そして、自分の思いと違う想定外の方法を、受け入れられなかった。

しかし、エリシャは癒される方法を明確に示している。しかるにナアマンにとっては、プライドや自分の思いと違う事の方が重要になっている。そのところに、しもべが進言した。去ろうとしていたナアマンは聞く耳を持ち、ヨルダン川で言われた通りにした。すると完全に癒された。私達も「プライド」や「自分の思い」が、主に従う事を妨げていないだろうか。大きな祝福を逃がしてしまう。
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神様は、いつも砕かれる者を癒され聖められる。よくなりたいかと御声をかけて下さる声に、従えない自我を明け渡し、祝福を受けよう。