2012年05月25日(金)

「・・一人は、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した」ルカ17:16

                             
十人のらい病人が、遠く離れた所に立って、声を張り上げて「どうぞ、あわれんで下さい」と言った。当時、らい病は、汚れた病気との事で隔離されていた。人々に近寄る事は許されず、「私は汚れた者です」と自分で言わなくてはならなかった。辛く苦しい病の上に、社会生活も閉ざされ、更に精神的苦痛も加わった。

主に大声を張り上げたのは、必死な思いであったろう。主は、祭司のもとへ行き、見せるように言われた。するとその途上で癒された。彼ら全員が癒されたが、一人だけが感謝のために主のもとへ戻り、あとの九人は行ったまま、帰って来なかった。完全に治り、社会復帰できて、自由に社会生活が送れる。生けるしかばねのようであった彼らから見れば、何と夢のような事だろう。普通の生活に戻り、主を忘れ、離れ去ってしまった。

彼らにとっては、飛び切りの幸運であり、そこに神は無かった。感謝するために戻った一人は、大声で神を誉め讃え、感謝と喜びで一杯だった。そこに神を認め、神を崇めた。彼だけに、新しい信仰の生涯が始まった。「あなたの信仰が、あなたを直したのです」彼は主の愛に出会い、主の愛の中を生きて行く人生が始まった。

何が大切なのだろう。病気が治る事だろうか。「インマヌエル、神が私たちとともにおられる」人生へと招いて下さっている。苦しみの時も喜びの時も、人生をこの方と共に歩める事が、私たちのこの上ない幸せだ。
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過ぎて行く一時の喜びでなく、主との出会いが本当の幸いだ。信仰を与えられ、どんな時にも平安と希望を主から溢れるばかりに受け取ることができる。変わらぬ喜びの人生へと変わって行く。