2012年06月24日(日) 「私に立ち向かう者が多くいます・・しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、 私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です」詩編3:3
「私に立ち向かう者が多くいます・・しかし、主よ。あなたは私の回りを囲む盾、 私の栄光、そして私のかしらを高く上げてくださる方です」詩編3:3
ダビデはバテシバと姦淫の罪を犯した。罪は真実に赦されるが、蒔いたものは刈 り取ることになる、ダビデも刈り取りがあった。実子アブシャロムが自分に敵対 し、謀反を起こしたのだ。自分の子供が、自分を攻撃し、歯向かって来るなど、 それはダビデにとって、心引き裂かれるような、非常に痛い、辛い事であった。 彼は、そのアブシャロムを、武力により鎮圧しようと思えば出来たが、我が子と 戦うことをせず、すべてを主に委ねて、自分が離れ去り、逃げる道を選んだ。そ してひたすら逃げ回った。 祭司ツァドクとエブヤタルも、契約の箱をもってエルサレムを出ようとしたが、 ダビデが止めた。理由は、「主の恵みにかなうならば、私を連れ戻して下さるだ ろうし、もしそうでなくても、主が私に良いようにして下さる」。 ダビデは、罪を犯す以前の、信仰によって歩むダビデだ。自分で自分を守ろうと せず、自分に関する事をすべて主に委ねている。主のなさるままで良いと。命を 主に預けている。 そして、決して武力で立ち向かわず、神を頼り、よりすがり、神に切に祈り、神 に求めている。「私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答 えてくださる」。私達は問題が起こる時、どうだろう。パニックになって動転し、 まず何とかしなければと立ち騒ぎ、動き回るだろうか。自分で動かず、まず第一 に主に呼ばわろう。 ・・・・・・・・・・・・・・ 立ちはだかる問題や恐れがある。「しかし、主よ」と呼ばわろう。自分で何とか しようとせず、まず主のもとに持って行こう。主が前面にある盾だけでなく、回 りを囲む盾となり守って下さる。失望落胆、意気消沈でなく、かしらを高く上げ て下さる。今、「しかし、主よ」と祈ろう。