2002年01月25日(金) 「陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊い事に用いる器でも、またつまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないでしょうか」(ローマ9:21)
「陶器を作る者は、同じ土のかたまりから、尊い事に用いる器でも、またつまらないことに用いる器でも作る権利を持っていないでしょうか」(ローマ9:21)
焼き物の指導員が粘土の塊を美しい花瓶 に造って行く様子を見た。 自分でやってみると、粘土の塊がロクロの 上で、ぶれるのでうまくできないのだ。 キイポイントはロクロを回す人が手と腕を しっかりさせる事だ。粘土は焼き物を造る 人の手に触れて行きながら中心部に置かれ て行く。手は粘土の上で休んでいるのでは なく、粘土を正しい位置に据えて行ってる のだ。腕が粘土の回転に負けるなら粘土は 中心を離れてぐらつき、作品は対称性を失 う。これは神の愛に似ている。 神の愛が私達の抵抗、気分、恐れで変わる 事はない。神の愛は不変で不動だ。 神の一貫した聖い性質をあらわしている。 神の愛に触れ、私達の人生は変わる。 陶器師が粘土から焼き物を造るように神は 私達を形造られる。人生はロクロのように 混乱し回転するが神は確実に形造られる。