2012年07月25日(水)

「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです・・金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦情をもって自分を刺し通し」Tテモテ6:10


金銭が悪の根のように思ってしまい、すべてを献げたら良いのか、そうすれば神に近づけるのか、と考える人々がいる。しかし、そうではない。金銭を持っているかどうかは問題でない。金銭自体は全然悪ではない。無色だ。金銭ではなく、金銭を「愛すること」があらゆる悪の根だと言っている。

金銭に執着すること、神ではなく、金銭を頼り、金銭を第一にすることが間違っていると。又、特にサタンが金銭を用いて誘惑してくる事に注意が必要だ。サタンは、私たちの心を、神にではなく金銭に向けさせようとする。富が大きな安心をもたらし、人生の幸せをもたらし、夢を実現させ、生活を保障してくれると、錯覚させる。

巧妙なサタンの罠にはまると、金銭に捕らわれ、様々な欲におびき寄せられ、信仰から迷い出てしまうようになる。神ではなく、富に頼るようになる。非常な苦痛をもって自分を刺し通すと。「今、持っている倍の富さえあれば」と思うのがサタンの惑わしだ。

倍持ったとしても、決して満足しない。更に欲しくなるし、更に持たないと安心が無い。そんな富に望みを置くのでなく、むしろすべての物を「豊かに与えて楽しませて下さる神」に望みを置くようにと。

神は豊かに与えて下さる、そして私たちに楽しみも与えて下さる。与えられた富を、人の益のために、良い行ないに用いるようにと。「惜しまずに施し、喜んで分け与えるように」それが富が神に喜ばれ、生かされて用いられる道だ。自分自身の金銭のあり方を、御霊に探って頂こう。主に心が在るように。
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お金が無いとなると不安だが、幾らあれば安心なのかはそれぞれに違う。豊かに与えて下さる神を知っている者として、神と同列に金銭にも頼りをおいている思いがあるなら、改めていこう。