2012年08月25日(土)

「神がハガルの目が開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで行って皮袋に 水を満たし、少年に飲ませた」創世記21:19



イシマエルが生まれた後に、約束の子イサクが誕生した。するとイシマエルがイ
サクをからかい、いじめるようになった。それでサラは、イシマエルを追い出す
よう、アブラハムに要求した。アブラハムにとれば、両方共自分の子供なので、
非常に悩み苦しんだ。

しかし、神により導きを得て、母子を出した。二人は荒野をさまよった。食料も
水も尽きた。子供に何も与えてやれず、ただ死を待つだけだ。この悲惨な状況に、
どんなに心は辛く悲しく、嘆きと苦しみだったろう。絶望だ。ハガルは声を上げ
て泣いた。

その時、見捨てられていなかった。「神は少年の声を聞かれ」、はしための子も、
一つの国民とすると言われた。神の助けの手が伸べられた「神がハガルの目を開
かれたので、彼女は井戸を見つけた」子供に水を飲ませることができた。

その時、井戸が掘られたのでなく、そこにすでにあった。ハガルは井戸のすぐそ
ばにいた。そばに井戸があったに関わらず見えなかった。私たちも学ぶ事ができ
る。信仰人生で数々の困難に出くわすが、問題が問題なのではない。目が閉じて
いる事が、目が見えない事が問題なのだ。

ハガルが叫ぶと、神が目を開かれた。そして井戸を見出した。絶望、失望、不信
仰の中では何も見えない。真っ暗闇だ。問題の中で主に向こう。そこに光がある。
御言葉を与えられるよう祈ろう。主に向いた途端、目が開かれて、解決への糸口
を得る。

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絶体絶命で、声を上げて泣くハガル。神は少年の声を聞かれた。主は決して見放
さず、見捨てられない。すでに井戸が備えられていた。私たちを絶対に見捨てら
れない。どんなに慰めと励ましを受けることだろう。主に向いて叫ぼう。