2013年03月25日(月)

「シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた」ル カ5:3



一匹の獲物も無かったペテロは疲れ果て、早く帰宅して休みたかっ
た事だろう。疲れていたペテロは、色々理由をつけて断ることも出
来た。しかし、ペテロは主の言われる通りに持ち舟を、陸から少し
漕ぎ出した。主は、その舟から群衆に向かって、語られた。自分の
持ち舟であり、仕方なく舟にいたペテロは御言葉を聞いていた。

話し終わった主は、深みに漕ぎ出して、網を下ろすよう言われた。
プロのベテラン漁師だ、今、下ろしても魚がいるわけがない。しか
し御言葉を聞いたペテロの心に何か変化があり「でも、お言葉通り、
網を下ろしてみましょう」と指示に従った。

すると思いもよらない破格の祝福だった。驚くべき大漁だった。持
ち舟を出すよう頼まれた主は、実はペテロに御言葉を聞かせられた。
ペテロは主が話しておられるのに、網を洗っていた。持ち舟なので、
舟の中で御言葉を聞かざるを得ない状況に置かれた。私たちもどう
だろう。御言葉を聞く機会を与えられ、心が変えられた事が、何度
もあった事だろう。

ペテロの思いと、主の言葉は正反対だった。ペテロの常識では、魚
はいない。しかし、主は漁をせよと言われる。私たちも目に見える
ところ、自分の思い、常識と、御言葉が相反することがある。理解
できない時もある。その時は、どうすれば良いのか。

ペテロのように「でも、お言葉通り」、御言葉に従うことだ。「そ
して、そのとおりにすると」沢山の魚で、網は破れそうになった。
今、思いと相反しても、御言葉のほうに従おう。思いを越えた祝福
が備えられている。

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目に見えるところを見ると、又、自分の思いで量ると、「せよ」と
言われる事が、「どうして?」と理解できない時がある。「でも、
お言葉通り」に従ってみよう。そうする時、大きな主の祝福にあず
かり、主を新たに経験して行く。