2013年05月25日(土)

「そこでダビデは、いっしょにいた六百人の者を連れて、ガテの王 マオクの子アキシュのところへ渡って行った」Tサムエル27:2



サウル王に妬まれ、命を狙われていたダビデは、常に死と隣合わせ
であり、恐怖に襲われ、いつかは殺されるに違いないと思った。そ
れで自分を救うべく策を巡らし、ペリシテの地へ逃れる事を考えた。
そうすれば敵国であり、サウルは捜す事を諦めるだろうと。

「ダビデは心の中で言った」とあり、祈ったのではなかった。ダビ
デは、どんな時も祈り、主に導きを求め歩んで来た。しかし、ここ
では祈らずに自分の思いで決めた。恐怖と思い煩い、不安に飲み込
まれてしまっていた。

アキシュの所へ行ったが、自分の思いで進んだ結果、アキシュのも
とで、嘘に嘘を重ねる事になり、更に、アキシュと共に、同胞イス
ラエルと戦争するはめに陥ってしまう。サウルやヨナタンと戦う事
になってしまう。しかし、そこに神が介入された。ペリシテの領主
達が、ダビデが裏切るのではと参戦させないよう言って来た。

アキシュはそれを受け入れ、ダビデは同胞との戦争を免れた。最悪
の事態から、神が守られた。「人を恐れるとわなにかかる。しかし
主に信頼する者は守られる」。人を恐れる時、サタンの罠にかかっ
てしまう。

エリヤもイゼベルを恐れて逃亡し、えにしだの木の陰で死を願った。
人や状況や自分にあるその視点を、主に移そう。自分で動かず、主
に信頼を置こう。自分で自分を守るのでなく、主が守って下さる。
サタンの罠から守られる。

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主を見ている目を、状況に移した途端、恐れや不安に飲み込まれる。
すると、主が飛んで、自分で自分を救おうとしてしまう。思いを巡
らし、見た目の、肉の最善に走る。今、どうだろう。目を主に向け
て、主に状況を告げて行こう。