2013年06月24日(月)

「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません」ガラテヤ5:18



御霊に導かれて、御霊の支配の中で生きる時、私たちは自由で、平安と喜びがあり、感謝がある。生きていることが嬉しい。しかし、律法のもとで、肉に従って生きるなら、信仰生活は非常に息苦しくなる。重い荷をずっしり背負うように辛くてしんどい。心に自由がなく、ふさがれる。神は恐い方で、罰を与え、常に強いられ、要求されていると感じる。

一タラント預かったしもべのように、神はひどい方で、蒔かないところから刈り取る、厳しい方だと思う。主が恐ろしい方になり、主に従う事が辛い事になる。そこに喜びなど全く無い。関わらないで欲しいが、正しい方であり、恐いので逃れられない。今、あなたはどうだろう。辛い信仰生活だろうか。それならどこかがおかしい。神観が間違っている。又、自力で頑張っているかも知れない。

憎しみ、怒りが湧き上がる時、これは良くない事と、心に抑え込むだろうか。抑え込んだものは、無くなるのでなく、ずっとそこにある。許容量を越えると、必ず爆発する。抑え込むのでなく、「怒っています、憎んでいます。誰にも言えないこの思いを、あなたはご存じです」と一つ一つ、主に告げる事が大切だ。隠さず、ごまかさず、無いことにせず、ふたをせず、主に言い表して行く。その時、主が助けて下さる。絶えず主を呼び、言い表わし悔い改め、助けを求めて行く時、その思いが消えて行く。思いが来た時、まず「主よ」と主を呼び求めよう。助けが来る。
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良いことも肉によって出来るので、ねばならない!と頑張ってしまう。喜びの無い時、肉に突き動かされているのかどうか、祈りによって自分自身をよく吟味していこう。肉の思いではなく、御霊によって生き生きと歩んで行きたい。