2013年08月25日(日) 「そこで、民は出て行き、アラムの陣営をかすめ奪ったので、主の ことばのとおり、上等の小麦粉一セアが一シャケル・・で売られた」 列王記U7:16
「そこで、民は出て行き、アラムの陣営をかすめ奪ったので、主の ことばのとおり、上等の小麦粉一セアが一シャケル・・で売られた」 列王記U7:16
エリシャは「主の言葉を聞け」と預言した。「あすの今頃、サマリ ヤの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シ ェケルで売られる」。子供をも食べるほど苛酷な飢饉での、その言 葉に、侍従が「たとい主が天に窓を作られるにしても、そんな事が あるだろうか」と言った。 エリシャは「あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べる事は できない」と答えた。その後、神が奇跡をされ、アラム陣営に戦車 の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせられたので、彼らは 敵の来襲と恐れ、陣営をそのままにして逃亡した。 どうせ餓死するのだからと、らい病人たちがアラム陣営に入り込ん だ時、それらを見つけた。誰もいない中、食料が丸ごと残っていて、 何とエリシャの預言通りになった。そして、その侍従は、門の管理 に当たっていて、大勢が食料目がけて殺到したため、門で踏みつけ られ死んだ。 彼は神の言葉を信じなかったので、恵みにあずかる事ができなかっ た。神の言葉でなく、自分の思いを信じたからだ。今まで培われた、 自分の思いがあり、彼の思考では絶対にあり得ない事だった。あく までも自分が基準であり、神の言葉は合えば受け入れ、合わなけれ ば捨てた。 その結果、彼は自分の正しさで滅んでしまった。私達はどうだろう。 自分の思いを捨てて、主の言葉に従うことを教えられる。 ・・・・・・・・・・・ 御言葉と自分の思いが正反対の時がある。そして、自分は正しいと 思っているので、御言葉を捨ててしまう。まだ見ていない主の約束、 語られる言葉を信じて行こう。見える状況が正反対でも、御言葉の ほうを選択して、信じて行こう。