2013年09月23日(月)

「待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を」詩篇27:14


        

主を待ち、主の時を待つことは大切だ。しかし、待つ事ほど難しい事はない。私達はどうしても動いてしまう。待つより、動く方が簡単なのだ。自分で目の前の問題をどうにかしようとする。アブラハムは待てないで、大失敗をした。神から約束を受けながら、時を待てずに、奴隷ハガルによりイシマエルをもうけた。その蒔いた種で、今、現在まで悲惨な争いが続いている。

自分で動くなら、イシマエルを生み出し、苦しい刈り取りをする事になる。サウルも、サムエルが来る「神の時」を待てないで、全焼のいけにえを自分で献げてしまった。これは小さな事ではなかった。このためサウルは王位を失った。主を待つ必要があるのは、主が動かれる「時」があるからだ。「今こそ、主が事をなさる時です」、主の時があり、主がその事態に介入される「時」がある。

早くも遅くもなく、その時には、主ご自身が動かれ、みわざをされる。自分で動かず、その時を待つことが大切だ。全く動かなかった事態が、時が来れば、大きく動いて行く。今、悩み、苦しみの中にいるだろうか。自分で立って動き回るのではなく、静まって主を待とう。自分の思いを置いて、主が動き、介入される時まで待とう。必ず主の時がある。あなたの今、なすべき事は、主を信頼し、「待つ」ことではないだろうか。
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自分の手ですぐに出来ることを、主に委ね待つのには忍耐だ。動くためでなく、いっさいを主に信頼し、動かずじっと主の時を待ち望むために御言葉は「雄々しく、心を強くせよ」と励まして下さる。