2013年10月24日(木)

「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」詩篇46:10


主は戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。そして「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」と。「力を捨てよ」「静まって」主がもたらされた勝利を、敗北した敵の姿、その様子、主の戦勝の品々を見よと告げられている。そして、主が戦われ、主が勝利をおさめられたという事実を。

「やめよ」とは、神によらない、人間の力による、人間的な知恵、方法による肉の様々な、はかり事をやめよということだ。肉の力、人間的なもので戦うのではなく、その肉に、自分に死んで、御霊に支配されて、御霊の導きに従って行くのが信仰生活だ。「神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる」神は都の真ん中に臨在され、その都はゆるがない。

神は私達一人一人のただ中に臨在されるので、私たちは何があっても揺るがない。不安でたまらない事柄や思い煩う事態、恐れに襲われる事、様々な事態が生じるが、その時こそ「わたしこそ神であることを知」れる時だ。「やめよ」自分で思い煩い、あれこれ動き回るのは止めて、神に祈り、神を信じよう。

「神はわれらの避け所、力、そこにある助け」だ。「主のみわざを見よ」今までどんなに良くして下さっただろう。必ず折りにかなった助けがあり、奇跡があり、幾度もみわざを見た。今、新たに主に信仰を献げよう。 
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恐れや恐怖で神様が見えなくなる。その時、最も暗い闇に落ち込む。自分で戦うことをやめ、神様に全て明け渡せるように祈ろう。祈り交わる中で心は落ち着き、暗やみの中で新しい展開を待ち望める。