2013年11月24日(日) 「それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を 守るかどうか、あなたの心の内にあるものを知るためであった」申 命記8:2
「それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を 守るかどうか、あなたの心の内にあるものを知るためであった」申 命記8:2
イスラエルの民は苦難のエジプトから、奇跡をもって出された後、 何もない厳しい荒野を通って、神からの訓練を受けた。そのわけは 「あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかど うか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」と。 人は苦しみの時に、本性が出る。どうにもならない行き詰まった時 に出る姿が、自分の本当の姿だ。それは普段も心の底にあるが、問 題が無い時には出ないだけだ。不満、愚痴、怒り、不信仰が出るな ら、それは自分の姿だ。いかに罪深いかを知る。普段は良い人間だ と思いたいし、思っている。 しかし、自分の姿を自分が知らない。主はすでにご存じだが、自分 が知るようにして下さっている。本来の自分はどんなにか罪深い者 であり、だが、そんな事はすでにご存じの上で、愛して下さってい る。見た事も、聞いた事も心に思い浮かんだ事もないほどの、深い 大きな愛だ。 「苦しみにあった事は幸せでした」の通り、苦しみを通して主のご 愛と慈しみを知る。ヨブも「うわさで聞いていたが、苦しみを通し て、この目で見た」と言った。主は試練の中で、誰も「知らなかっ たマナ」を下さる。苦しみの中でしか味わえない御言葉を食する。 その言葉は甘く、慰め、癒し、力とされる。訓練を訓練として受け 止めて、主を味わい知ろう。 ・・・・・・・・・・・ 心の内にあるものを、主が見せて下さり、自分がちゃんと知ること ができるように祈ろう。主が見せて下さらなければ、わからない。 そしてそれが赦されていることを知ろう。その時、心が癒されて平 安にされる。