2014年05月25日(日)

「私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するように話 すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対する ように話しました」Tコリント3:1



「肉に属する人」「キリストにある幼子」が出て来る。肉とは、ア
ダムからの古い性質だ。アダムとエバが、善悪の知識の木から取っ
て食べた時に、目が開かれた。つまり、神から独立して善悪を判断
する事となった。「あなたがたは神のようになり、善悪を知るよう
になる」との誘惑に乗ってしまった結果、霊が死んでしまった。

神から離れて、神を無視し、自分の思い通りに生きるようになった。
自分を中心に生きるようになったので、そこに妬みや争いが生じる
ことになる。自我と自我が、ぶつかり合い、問題が起きる。コリン
トの教会内は、様々な問題でいっぱいだった。自分を中心にすると、
もめごとだらけになる。

又、醜い肉だけでなく、反対に魅力的な肉もある。自己実現や、魅
力的なものに心を奪われ、神から離れて行く。御霊に頼らず、自分
の思いと自分の力で生きて行く。すべての局面で、まず「自分」を
第一にして生きて行く。自分の気持ち、自分の思いが第一だ。

「御霊に属する人」とは、神に、自分と自分の持てるものを渡して
行く人で、その人は、御霊に導かれて行く。そして、自分の力でな
く、御霊に頼って生きて行く人だ。そして、事が起きた時に、まず、
主のみ思いは、主の御心は・・と、御言葉は何と言っているかと、主
を第一に、祈り、御言葉に照らして考えて行く。

何かあった時に、まず自分が前に出て、思いを巡らし、対処するだ
ろうか、それとも、まず主を呼び、御言葉を求め、御心を求めるだ
ろうか。

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突如の事態に、逆巻く波風に心を奪われ、主が飛んでしまう。する
と、すぐに自分が出てきて、何とかしなければとパニックになる。
まず主を呼ぶ練習だ。普段から祈っていよう。その時、主を呼ばな
かった事に気づける。その御霊の気づきが感謝だ。