2014年06月24日(火)

「イエスはシモン・ペテロに言われた『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか』ヨハネ21:15



主を否み、裏切ってしまった後、ガリラヤに戻ったペテロや弟子た
ちの心はどんなものだったろう。死んでも主について行くとの自信
満々のペテロは、こっぱみじんに砕かれた。なすすべなく、一度捨
てた網を、もう一度取り、漁をする。しかし一匹も捕れない。心に
は痛み、悔い、落胆、挫折感だったろうか。

夜明け頃、岸辺の見知らぬ人から「子どもたちよ。食べる物があり
ませんね」との声が聞こえた。声の主は、誰かはわからないまま、
「はい、ありません」とありのまま答えた。その答えを受けて、直
ちに「舟の右側に網をおろしなさい。そうすればとれます」との声。
その声に従い、網を打った。すると、何と網を引き上げられないほ
どの大漁だった。

以前、全く同じ経験をした。その光景と合致した。ヨハネは、瞬間
「主です」と悟った。途端、ペテロは主に会いたい一心で、湖に飛
び込んだ。陸地に上がると主がおられ、魚とパンが用意されていた。
そして、ペテロを取り扱われた。「なぜ、裏切ったのか」と、一言
も言われない。責めもされない。三回の裏切りは、「わたしを愛し
ますか」の三回の問いかけにより、深い傷をがおおわれ、癒されて
行った。

そして「わたしの子羊を飼いなさい」と牧会の働きを委ねられた。
神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改め
を生じさせる。弟子たちへの慈しみとご愛は、私たちへも同様に向
けられている。
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過ちや失敗で幾たびも落ち込むが、そのままで終わりではない。自
己嫌悪でうなだれている私たちに主が目を注いで下さることを覚え
ていたい。全てを負って下さる主だけが真の癒し主だ。