2014年08月25日(月)

「神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた。それで行って皮袋に水を満たし、少年に飲ませた」創世記21:19




女奴隷ハガルによりイシマエルが生まれた後、サラから約束の子イ
サクが誕生した。すると、イシマエルがイサクをいじめるようにな
り、サラは、イシマエルを追い出すよう、アブラハムに要求した。
アブラハムにすれば、どちらも自分の実子なので悩み苦しんだ。
しかし神の示しにより、ハガル母子を出した。

二人は荒野をさまよい、食料も水も尽きた。もう子供に何も与えて
やれず、ただ死を待つだけだ。この悲惨な状況に、ハガルの心はど
んなに嘆きと苦しみだったろう。絶望だ。ハガルは声を上げて泣い
た。しかし、神から見捨てられていなかった。「神は少年の声を聞
かれ」はしための子も、一つの国民とすると言われた。神の助けの
手が伸べられた「神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見
つけた」子供に水を与える事ができた。

その時に井戸が掘られたのでなく、そこにすでにあったものだ。ハ
ガルは井戸のすぐそばにいた。そばに井戸があったにかかわらず見
えなかった。私たちも学べる。信仰人生で数々の困難に出くわすが、
問題が問題なのではない。目が閉じている事が、目が見えない事が
問題なのだ。

ハガルが叫ぶと、神が目を開かれた。そして井戸を見つけた。絶望、
不信仰の中では何も見えない。真っ暗闇だ。問題の中で神に向き、
焦点を神に当てよう。そこに光がある。御声を聞こう。神に向いた
途端、目が開かれて、解決への糸口を得る。
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見ようとしない、探そうとしなければ神の備えてくださっているも
のは目に入らない。絶望であるかのように見えてもそこに神は共に
おられる。動揺する心を沈めて、そこに神を認めよう。