2015年02月22日(日)

「主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そ のつぼの油はなくならない」T列王17:14



エリヤは、アハブ王に雨が降らない事を告げた後、主から示された
通りに、ケリテ川へ。主の備えにより、飢饉の中、ケリテ川の水を
飲み、カラスに養われた。その川が枯れた時、次にエリヤは、シド
ンのツァレファテへ行くように示された。そこで、やもめ女に養わ
れると。

その町へ行くと、やもめに出会った。そこで彼女に少しの水と一口
のパンを求めた。すると、彼女の悲惨な状況が露呈した。裕福な資
産家などではなく、最後の一握りの粉でパンを作り、最後の食事を
して死のうとしている極貧の母子だった。何という状況だろう。目
の前の人物は、人を養う事など不可能だ。しかし助けを求めなけれ
ばならない。

人間的に考えるなら、その最後のパンを自分にくれとは、とても言
えない。しかし、エリヤは目に見えるところでなく、情でも、自分
の思いでもなく、信仰に立ち、ただ御言葉に従った。まず自分にパ
ンを作り、その後にあなた方のために作るようにと。そうするなら、
飢饉が終わるまで、粉は尽きず油は無くならないと。

人の良かれとの思いや情は、神のみわざを妨げる。「彼女は行って、
エリヤのことばのとおりにした」と御言葉に従った。すると、母子
は飢饉のまっただ中で豊かに養われ、それは母子のためでもあった。

神を第一にして従う時、神の栄光を拝する。自分の思いや情、見え
るところが正反対であっても、神の言葉を選択し、信仰によって従
おう。その時、神が責任を取って下さる。今、示されている事があ
るなら、一歩従おう。

・・・・・・・・・・・
目に見えるところと、御言葉が正反対の時がある。自分の思い、常
識的判断と、御言葉が合わない。しかし、神の言葉に従う時、素晴
らしいみわざを見る。そして、主は、見えるところでなく、御言葉
に従う信仰を求めておられる。