2015年05月25日(月)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」ヨハネ16:8



ある人が、教会学校から、教会へ通っていたが、罪がよくわからず、
赦されたこともぼんやりしていた。教会へは行くのだが、信仰自体
も何だか漠然としていて、サークルへ行っているような感覚だった。
そんな中、学校の部活で部長をしていたが、健康上の理由で退かざ
るを得なくなった。

通院の必要が生じ、迷惑をかけるので、止むを得ず他の人に代わっ
てもらった。少し体調が良い時に行くと、自分のいた場所に、新し
い部長がいて、皆がその人を慕い、相談を持って行く。それを見た
時に、寂しさと妬みが湧き上がった。顔が歪むのがわかったほどだ
った。こんなはずではない自分を見せられ、どうしようもない醜さ
を知った。初めて罪がわかった。自分のプライドの強さを知り、高
慢を知った。

心から悔い改め、主の十字架がこの罪のためであり、自分のためで
あることが初めてわかった。その時に、心からの感謝が湧いた。
ある人は、入院中に親しくなった患者さんが、後で入って来て、先
に退院して行くのを見ると、顔では笑い、口では「良かったね」と
言う。が、心では全く祝福できず、喜べず、羨ましさと妬みでいっ
ぱいだった。

その時、喜ぶ者といっしょに決して喜べない、自分の姿を思い知ら
された。良い人間と思っていた自分の醜い姿をあらわにされた。し
かし、主はこんな自分を愛しておられ、その愛は自分がどうであろ
うと、決して変わらず、人の喜びを喜べない自分のための十字架で
あると感謝が湧いた。
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聖霊なる神様に教えられて本当自分の姿を示される。この世の善悪
の基準ではない罪や義、十字架による赦しを教えられ、いつも正し
い神様との関係に整えられていく。御霊の声に忠実に歩みたい。