2015年08月25日(火)

「イエスは言われた。『人にはできないことが、神にはできるのです』」ルカ18:27 



主のもとに一人の青年が来た。彼は若くして、当時ユダヤの最高議
会の議員であり、富にも恵まれていて、礼儀正しい真面目な人柄で、
申し分の無い人物だった。道徳的にも立派で、この世的には、優等
生であり、模範的な良い人であった。しかし、心は満たされておら
ず、虚しさがあり、主のもとに駆けつけた。永遠のいのちを得るた
めに「何をしたら」良いのかと。

青年の、何もかもを見抜かれた主は、彼を導かれた。「姦淫しては
ならない、殺してはならない、盗んではならない、偽証を・・」と。
すると彼は、そんな事は知っていて、小さい時から守っていると答
えた。善良な生活ならしている。もっと何かないのかと。遊女のも
とへ行った事はないし、実際に人は殺していないかも知れない。し
かし、義人はいない。ひとりもいない。すべての人は罪を犯した。

心の中で姦淫し、心の中で憎むなら殺人だ。主は、持ち物を全部売
り払い、貧しい人々に分けてやるようにと言われた。宝を天に積む
ことになると。そして、「わたしについて来なさい」と。しかし彼
は出来なかった。「金持ちだったから」と。彼にとって、財産がい
のちであった。貧しい人に施せない、隣人を愛せない現実を知らさ
れた。

罪人である自分を認めて、「人にはできないことが、神にはできる」
との主に頼ることを、主は願われた。そして主について来ることを。
主は彼を慈しんで、愛しておられた。彼は主のもとから去ったが、
私たちは「出来ません、助けて下さい」と主に求めよう。助けて下
さる。
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自分の無力を知る時、誰もがこの青年のように悲しくなるが「出来
ません」では終わらない。主の助けがあると信じて立てる。主に在
って出来る人生へともう変えられているからだ。