2015年09月24日(木)

「彼は答えた。『私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました』」創3:10



エバは、蛇の誘惑に乗ってしまい、神から禁じられていた善悪を知
る木の実を食べた。夫にも与えたのでアダムも食べた。蛇が「目が
開け・・」と言った通りに、彼らの目は開かれた。しかし、目が開
かれて見たものは自分達の裸だった。それ以前は裸でいて、どうも
無かったのに、その裸が恥ずべきものとなった。そのため、いちじ
くの葉で腰をおおった。

夫婦の信頼関係は壊れてしまった。互いに非難し合い、責任をなす
りつけ合う関係となった。そして神の声を聞いて「御顔を避け、恐
れて、隠れた」とあり、神が恐怖となってしまった。恐いから、隠
れる。「神のようになれる」とそそのかされ、善悪を知る木の実を
食べた結果、神が恐くなり、自分が中心となり、夫婦は信頼する事
ができず、本当の姿を隠すようになった。

神との関係が遮断された結果、人からの愛を求めるようになり、人
に良く見られたい、人の賞賛、評価を気にして生きるようになった。
そして弱さは悪であり恥であり、決して見せてはならないものとな
った。あるがままの姿ではおれず、人前を繕い、強く見せ、又、自
分で自分に付加価値をつけて行く、辛い生き方となった。

主の十字架はそこから救い出し、無条件で愛されている事、弱さこ
そが恵みであり、神の力が現される強みである事、全く新しい価値
観へと変えてくれる。
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目が開けた後に見たものは恥じるべき裸の自分だった。人との関係
や、不確かな善悪の選択と、裸の自分をいつも見せられるが、神様
との正しい関係に帰っていけることが感謝だ。