2016年02月23日(火)

「彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、おどり上がってまっすぐに立ち、歩きだした」使徒3:7




ペテロとヨハネが宮に上った時に「美しの門」で、生まれつき足の
きかない男性に出会った。彼は、毎日、門の前に「運ばれ」「置い
てもらった」。自分では何もできず、人にすがらなければならなか
った。人に依存した人生であった。人からの施しとお恵みで生きて
いた。辛さ、怒り、悲しみや寂しさは、諦めになっていたかも知れ
ない。

ペテロとヨハネを見た彼は、施しを求めた。「私を見なさい」と言
われ、お金がもらえるものと、二人に目を注いだ。すると、ペテロ
は「金銀は無い、しかし私にあるものがある。それを上げよう。イ
エス・キリストの名によって歩け」と言われた。生まれてから一度
も歩いた事が無いのに。だが、彼はその言葉を信じ、主にすがった。
すると、足とくるぶしが強くなり、おどり上がり、まっすぐに立ち、
歩き出した。

歩き出した彼は、神を賛美した。今まで、人に運ばれて、置いても
らっていたのが、自分の足で立ち、歩き出した。「イエスの御名が、
その御名を信じる信仰のゆえに、この人を強くした」。彼は主を信
じ、いやされた。私たちも、主を求めていると思いながら、実は、
他のものを求めているかも知れない。

名誉、地位、人からの賞賛、自己実現・・だろうか。しかし、それ
も同じく依存の人生だ。主は、御名を信じる信仰に立って歩めと言
われている。主を信じ、主にのみ拠り頼むことが、私たちの真の自
立だ。そして、そこにこそ本当の生きがいと喜びがある。
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信仰を持ちながらも、人からの「お恵み施し」を求めて座り込んで
いるところを示される。主にのみ頼る生き方だろうか。すでに主に
頼れる祝福に預かっている。喜び賛美しながら主について行きたい。