2016年06月24日(金)

「憤りは残忍で、怒りはあふれ出る。しかし、ねたみの前にはだれが立ちはだかることができよう」箴言27:4



ある人が職場で、何を言っても反対された。そんな相手がいた。と
にかく意見を言っても、提案をしても、ことごとく反対された。又、
その反対にいつも最もらしい理由をつけて来るので、周囲もその方
向に流れてしまう。余りにも敵対されるので、悩んで、とうとう体
調を崩してしまった。祈りに持って行こうと、主に、辛さ、苦しみ、
相手への思い、心の内の何もかもを告げた。

祈りを積む中で、色々考え、相手から妬まれている事に思いが至っ
た。仕事が上司に評価され、周囲から認められ、又、可愛がられて
いる自分が、嫌で仕方無かったのだろうと。それがわかった時、自
分も人を妬む者であり、相手の気持ちもわかり、今までと違って冷
静に対応できるようになった。

妬みは誰の心にも根深く巣くう罪と言われている。妬みに支配され
てしまうと、人を愛せなくなってしまう。自分はどうだろう。自分
でも気づかずに、きつい態度や冷淡な言動をしてしまう底に、妬み
があるものだ。何かざらつくものを感じるはずだ。「妬みや敵対心
のあるところには、秩序の乱れや、邪悪な行ない」がある。

「苦い根が芽を出して悩ま」すことのないように、苦い根を引き抜
いてしまう事が大切だ。それには、言い訳せずに、妬みを認めて、
悔い改めることだ。主は私たちの心を変えて、愛を与えることがで
きる。妬みを愛に変えて下さる。
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不当な目にあう憎しみと違い、相手が優れていることに起因する妬
みはどうしても認めたくない。認められない自分の姿だ。平安はな
く「邪悪な行い」に進む前に、主に認めて行くところから始めたい。