2016年08月25日(木)

「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自 分より先に向こう岸に行かせ・・」マタイ14:22


パンの奇跡の後、すぐに弟子たちは無理やり舟に乗せられた。主が
同伴されないので、弟子たちは気が進まなかったろうか。それで強
制的に行かせられた。主はその間、「祈るために、ひとりで山に登
られた」。その祈りは弟子たちのためだった。

私たちも、嫌だなあ、したくない、関わりたくない、動きたくな
い・・渋る時に、主は強いてさせられることがある。振り返ってどう
だろう。渋々従った、嫌だけれど従った、したくないが行なった・・
そこに大きな祝福を何度経験した事だろう。肉はいつも渋る。主が
強いてさせて下さる事は、実は恵みだ。

その時に、主は弟子たちにされたように、執り成して下さっている。
そして弟子たちは、その舟で嵐に見舞われる。ベテランで経験豊か
な弟子たちでさえ恐怖を感じた、暗闇の中での大嵐だった。このま
ま行けば転覆だ。丸ごと主が飛んで、パニックだ。彼らは信仰によ
らず、自力で奮闘していた。

恐怖のため、向こうから来る主を幽霊と間違える。「パンのことか
ら悟るところがなく、その心は固く閉じていた」からだった。主が
湖の上を歩くなどと思っていない。怯えて恐怖の叫び声を上げる弟
子たちに「わたしだ。恐れることはない」と。どんな時にもわたし
が共にいると。

主を迎え入れた時に、風は止んだ。彼らは驚き、主を拝んで、「確
かにあなたは神の子です」と言った。心が固く閉じている者に、強
いて舟に乗り込ませ、結果、生けるまことの神の子であることを現
わされた。

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振り返って、強いてであったが、祈って、従った時に、素晴らしい
祝福を何度も経験した。取り扱いを受けて、主を知って行った。人
生途上いつも、絶えず「しっかりしなさい。わたしだ。恐れること
はない」と共におられる。何と嬉しいことだろう。